学生による早稲田のスポーツ応援プロジェクト「ワセダウィルウィン」は終了しました。過去のサイトはアーカイブとして公開しています
アーカイブ(PC用サイト)神原
このほかに、『WasedaWillWin』が立ち上がった平成12年(2000)当時、記憶に残っていることはありますか?
木村
あの頃は所沢で総合型地域スポーツクラブ「WASEDA Club 2000」の立ち上げをしてちょうどまだ1年目くらい。結構、メディアからも注目されていた頃だったのでよく覚えています。
当時、「スポーツ」といえばプロスポーツを思い浮かべるのが一般的ですが、スポーツマネジメントや経営学の視点からいえば、地域のスポーツもあれば学校のスポーツもある。その意味で、『WasedaWillWin』の出発点と同じなんですよ。トップスポーツだけじゃないんだよと。たとえばプロ野球やJリーグだけに注目するんじゃなく、幅広い視点でスポーツをとらえて欲しい。そのことを学生に伝えたいと常に思っていたので、まったく一緒の発想じゃないかなと感じましたね。
神原
僕らも「勝利至上主義からの脱却」以外に、野球、ラグビー、箱根駅伝という、いわゆる「早稲田三大スポーツ偏重主義からの脱却」を目指したいという狙いがありました。
たとえば、庭球部がいくら頑張っても「早稲田スポーツ新聞」の紙面は、野球、ラグビー、駅伝が一面で、テニスのスペースはなかなか増えなかった。でも、そのことを記者に伝えると、「私たちとしても取材したものを出す場がないことがもどかしい」という悩みを抱えていて、ならば『WasedaWillWin』をやる意義があるなと思ったんです。「WEBには紙面の限りがない、だから必ず掲載します」が当時の取材口説き文句でした。
屈指の人気学生スポーツとなった箱根駅伝
木村
人気競技もそれ以外についても、両方をちゃんと見てかなきゃいけないし、僕らからすれば「学校の体育も大事だよね」という立場もあります。なので、学生自身がそう感じてくれていることは「よし」と思いましたね。
それと、友添先生もずっと推進されてきたことですが、スポーツというのは「する」だけじゃなく、「見たり」「考えたり」、あるいは「支えたり」という多様な関わり方があるものだ、ということが今や常識になってきています。
友添
そうですね。
木村
その常識を『WasedaWillWin』は先取りしていたんじゃないかな、と思うんですね。スポーツ科学部の学生も、まずはこの「自分がプレーするだけがスポーツじゃない」ということを必ず叩き込まれますから。
友添
ただ、別の視点から言うと、私自身が早稲田への着任が決まってから仲間内でよく言われたのが「早慶戦のときは授業が成立しないらしいぞ」と。ところが、初めての春の早慶戦の日に「困ったなぁ。でもそれが伝統ならしょうがないか」と学校に来てみたら、みんな授業に来ていた。「あれ、応援行かないの?」と聞いても「え? 行きませんよ」と。
神原
聞いていた話と違うぞ、と。
早慶戦
友添
そのときに思ったことが、「実は真面目なんだな」ということと、「あれ? 早稲田のスポーツも変わりかけているのかな。これ、大丈夫か?」ということでした。
神原
約20年前にそう感じて、今はどうでしょうか?
友添
実は、さらに拍車がかかっていて、かなり問題かなと感じています。たとえば、私はレスリング部の部長(2010年4月~2019年3月末に退任)ですけど、レスリング部の試合に行くと、応援に来ているのは家族や先輩くらい。応援部が来てくれることはあっても一般の学生が応援に来ることはほとんどありません。たぶん、木村先生が部長を務めるスキー部も同じような感じじゃないですか?
木村
OBや関係者くらいですね。
友添
学校を休んで自分も板を担いでスキー部の応援に、というのは今の時代、難しいですよね。
なぜこうなったかという点で自分のなかにひとつの答えを持っているんですが、どうもスポーツ科学部の学生の割合が、体育各部のなかで多くなるに従って起きてきたことなのかなと。つまり、昔のようにいろんな学部のいろんな学生が部を支えている、という状況は、実は応援したり支えたりする側の学生もそのまわりに結構いた、ということでもあるわけです。むしろ、政治経済学部なのにラグビー部員がいて、「あいつが出るんだったらみんなで今日応援に行こうぜ」と。
でも、今ではその構図が成り立たなくなっているんです。
ラグビー蹴球部
木村
確かに、平成15年(2003)にスポーツ科学部ができて、スポーツ推薦の入試自体はもうちょっと前から始まっていたわけですけども、今のスキー部を見ると、一部、教育学部や社会科学部にもいますけど、ほとんどがスポーツ科学部です。やはり、ひとつの学部で大勢を占めるようになってきたことは、この30年の変化でいえばかなりインパクトの大きいことでしたね。