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[最終企画] 座談会:平成最後に「早稲田のスポーツ」を語ろう

08: 早稲田らしさとは何か?2019/04/17

神原

平成時代を踏まえ、これからの早稲田のスポーツについても考えていきたいと思います。早稲田スポーツの「価値」とは何か、ということを私なりに考えてみたときに、早稲田の「建学の理念」を文字通り体現できる存在ではないかと思ったんですね。その理念というのは、多彩な人物がいるという「多様性」。地域に根ざすという意味での「広がり」。門がないという意味での「開放性」。この3つに集約されるんじゃないかなと。その意味において、先生たちはこれからの平成以降、そして2020年以降、早稲田のスポーツの価値をどう伸ばし、どう高めていきたいとお考えでしょうか。

木村

ぶち上げたねぇ。

神原

ぶち上げすぎましたか?(笑)

木村

まあ、そもそも「2020年」以降を強く意識すべきかどうかというのはあるんだよね。日本全体の景気感でいえば、落ち込むだろうと言われていますけども、それが早稲田にどんな影響があるのかはなかなか読めないところ。ただ、どんな時代・社会であっても、矜持、つまりプライドは持ち続けていくべきだろうと思うんです。そして、学生の本分はやっぱり学ぶこと。でも、学びは教室だけじゃないぞ、と。

友添

そうですね、なかなか難しい質問で、まずはやっぱり校友に対する還元をしっかりしていくことですよね。還元って「ソフト」と「ハード」があって、「ソフト」のほうでは早稲田のスポーツがしっかりと頑張ること。頑張るとは、どんな手を使ってでも勝つのではなく、「早稲田らしい勝ち方」を見せること。つまりそれは“ノブレス・オブリージュ”。高貴なものが負うべき責務というか、理想の精神をちゃんと体現しながら勝っていく。フェアに、公平に、なおかつ、自分たちが日頃、練習した成果をいかんなく発揮できること。そして、勝って奢らない……早稲田スポーツが長い年月をかけて体現してきたものを後輩たちがちゃんと示していくことがソフト面での還元です。

神原

早稲田の「伝統」というバトンをちゃんと繋いでいく、ということですね。

友添

やっぱり多くの校友の支えや御寄附でスポーツができていることをもう一度確認することが必要だなと感じています。

友添

それから、「集まり散じて人は変われど仰ぐは同じき理想の光」と校歌にあるように、人は変わっていくし、私たちをはじめ教授たちも退職していくし、学生さんたちも変わっていくんだけど、やっぱり「早稲田らしさ」は何かといったら、端的に言うと明治以降、日本のスポーツをちゃんとリードして、民主主義とは何かということをスポーツを通して日本人に示してきたことだと思うんです。

神原

民主主義。

友添

たとえば、木村先生がやってきた野球でいえば、金持ちだからといって打順が多く回ってくるわけじゃないし、貧乏だからといって打順がないよ、というわけじゃない。武家の出であろうが町民の出であろうが、9人が9等分の権利を保有している。これこそ民主主義ですよね。こういったことを、それこそ昭和初期の時代から、エンタツ・アチャコも「早慶戦漫才(※)」という形で一世を風靡して、日本人みんなに語り継いできたわけです。そういった早稲田の姿、国民に示してきた理想をこれからも伝え、発信していくことが使命だろうなと思いますね。

エンタツ・アチャコの「早慶戦漫才」
昭和初期、吉本興業の礎を築き、しゃべくり漫才の形をつくったとされるのが横山エンタツ・花菱アチャコの二人。その代表的なネタのひとつが「早慶戦」。「レフト、センターともにバック、バック!」「オールバック」「散髪屋やないがな」といった軽妙な掛け合いで一斉を風靡した。

木村

そういう意味でいうと、先進各国で国力が低下してきたときに、やっぱり、スポーツの政治利用というのがどうしても出てくると思うんですよ。オリンピックを開くというのもまさにそうですよね。なんでこんな成熟した日本で開かなきゃいけないのか。だからこそ、スポーツが政治利用されそうな状況になったとき、早稲田のスポーツがそっち側に寄っていくんじゃなくて、ちゃんと発言できるような、そういうスタンスでありたいんです。

友添


闘争の論理 ─スポーツの本源を問う
(大西鐡之祐/中央公論新社)

1980年のモスクワ五輪ボイコットのときに、大西鐡之祐先生(※)は日本体育協会(現・日本スポーツ協会)のオリンピック委員会で堂々と論陣を張って、「国の政治に翻弄されるようなスポーツは本来のスポーツではない」と仰った。そこに早稲田スポーツのあるべき姿が体現されている。そういう人たちがいたことをちゃんと知った上で、これからの早稲田の学生にもそうなってもらいたいと願っています。


闘争の論理 ─スポーツの本源を問う(大西鐡之祐/中央公論新社)
大西鐡之祐
昭和14(1939)年商学部卒。終戦後の昭和25年(1950)、早大ラグビー部の監督に就任し、5年間で3度大学日本一に。その後、ラグビー日本代表監督に就任。日本人の俊敏さを生かす戦術として「展開・接近・連続」を掲げ、オールブラックスジュニアに勝利するなど、世界のラグビー界を驚かせた。平成7年(1995)没。

木村

まさに「在野の精神」。もちろん、ただ反対するだけじゃなくてね。ただ、今は本当に自国主義になりつつあるし、自国主義が如実に表れてくるのがメダル主義。その結果、トップアスリートや競技スポーツだけに国の予算の8割方が費やされている状況です。じゃあ、一般の国民はどうなるのか? 一般学生に向けた早稲田のスポーツの環境作りはどうなのか? と問いかけていく。早稲田は小さな日本だと考えて、早稲田のなかでのスポーツへの取り組みが日本のモデルになるように取り組んでほしいなと思います。もちろん、メダルを取る、目指すことは決して悪いわけじゃないですけどね。至上主義はいかん。


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