学生による早稲田のスポーツ応援プロジェクト「ワセダウィルウィン」は終了しました。過去のサイトはアーカイブとして公開しています
アーカイブ(PC用サイト)神原
先ほど、友添先生から「文武両道」と「文武別道」という言葉がありました。この点は今回、じっくり語りたいテーマです。平成26年(2014)から「早稲田アスリートプログラム(WAP)」がスタートしましたよね。
神原
その狙いには〈文武両道を体現する学生アスリートを育成し、社会を支えるグローバルリーダーを輩出することを目標とする〉と書かれていて、部活動と学業を両立するため、ずいぶんと大学側が配慮するようになったと感じています。
僕らの時代は「当番があるから誰が授業を抜けるか」、という話が各部で飛び交っていましたし、切羽詰まって、どうしようもなくなったら「一升瓶を持っていけば、単位はもらえるんじゃないか」なんていう都市伝説も、根強く残っていた時代でしたから。
友添
まぁ、噂だけなら今もあるよね(笑)
木村
友添先生も私も、大学までスポーツに打ち込んできて、教員になった人間ですから、心情的には学生たちの大変さも理解できるところはあるわけです。ただ、そうはいっても僕らが学生だった頃はそこまで甘えが許されなかったというか、それなりに勉強もしなきゃと思って学生時代を過ごしてきたんですけれども。
友添
最近の受験生や学生を見ていると、「早稲田スポーツ」に恋い焦がれて入ってくる生徒よりも、もっとドライに「早稲田大学」という看板に惹かれて入学する生徒が増えてきています。
神原
その違いというのは?
友添
昔は「早稲田のスポーツにはどんな伝統があって、日本のなかでどういう来し方があるのか」ということまで考える学生が結構いたんです。でも、今はそんなことを知らない学生が増えていて、「伝統」というリレーのバトンを次世代につないでいく意識も希薄です。そもそも、受験戦争の輪切りで進学先が決まるのと同じように、競技成績の輪切りで進学先が決まってしまっているわけです。
神原
なるほど。
友添
たとえば木村先生が何かの競技で1位、私が10位だとしたら「1位は早稲田行き。10位なら〇〇大学」という具合に単に競技成績だけで決まってしまう。だから、早稲田に行こうが慶應に行こうが、あるいは別の大学に行こうが、あまりその相違を受験生は感じていない。
木村
どの競技でもその傾向になりつつありますよね。
友添
そうなってくると、なぜ早稲田でスポーツをするのか、早稲田でスポーツを学ぶ意味は何かということをしっかり学ばせることが実は必要になってくるわけです。もちろん、スポーツそのものを通しての人間形成や文武両道ということは意識するんですけども、その上で「早稲田に来た意味や意義」を指導していく必要がある。そんな考えもあって、WAPの実施が決まった部分もあるように思います。
神原
この点は、早稲田のスポーツが平成という時代に大きく変化した部分ですね。たぶん、平成が始まった頃というのは、二浪三浪してでも早稲田でスポーツがやりたい、と恋焦がれていた生徒が多かったのかなと。
木村
今年から野球部監督になった小宮山悟さん(※)なんかその代表格ですよね。彼も二浪していて、そこから大リーガーにまで登りつめた人ですから。でも、そういう人間こそが早稲田らしいんですよね。
友添
大なり小なり、昔は小宮山さん的な受験生は結構いたなぁ。でも、今はそれが希薄になってきている。早稲田でスポーツを学ぶことの意義よりも、とにかく「早稲田」の看板に憧れて入ってくる。また、スポーツ科学部でいえば、スポーツ科学を学ぶというよりは、“スポーツの実践と切り離された科学”をイメージして入学してくる学生も多い。なかには、「僕はスポーツ科学を勉強しにきたんであって、スポーツには興味はありません」と言いかねない学生も出てきています。
神原
それが先生の言う「文武別道」ということなんですね。
友添
我々も早稲田に来たばかりの20年前は、まだうまく言語化できなかった部分はあったと思うんです。なんとなくモヤモヤしたものを抱えていて、そんなタイミングでできたのが『WasedaWillWin』だったのかなと。
神原
なるほど。我々学生の目線から言うと「勝てなかった、悔しい。でも、それだけじゃない魅力を発信しよう」なんですけど、先生たちからすれば、いわゆる「文武別道」化になりそうなところのある種、繋ぎ止めのような、そんな意味合いを『WasedaWillWin』に感じて下さっていたんだと。
友添
早稲田スポーツの「再生ルート」に見えた、は言い過ぎかな。でも、実際、それぐらいの熱意と情熱は当時あったと思いますね。